息子の頑張りが「可哀想に」という一言で全否定された。3万人が共感した無責任な言葉とは?
以下、記事全文
「可哀想」は時に人を傷つける
足をけがした6歳の息子が「僕、がんばって幼稚園まで歩くよ」と言った。
片足を引きずりながらゆっくりと歩く息子に付き添っていたら、通りすがりのご婦人たちから「あんな足で歩かせて可哀想に」という会話が聞こえてきた。
息子に妹ができ、おむつを買いに行った。
「僕が持つよ。お兄ちゃんだから」と頼もしいことを言ってくれた。
任せたら「あんな小さな子どもに荷物を持たせて。可哀想に」と他人から非難された。
息子の頑張りが「可哀想に」という一言で全否定された気がした。
「可哀想に」という人は、自分が優しい人間だと思っているのかもしれない。
しかし、この言葉は浅はかで無責任で、時に人を傷つけ、何も生み出さない。
そのことを知ってほしい。
「可哀想」という言葉
このツイートを読んんだ方からは、
「可哀想って言葉で言うのは簡単ですけどね。 慈愛の押し売りだと思います。」
「すぐに可哀想って言う人って心の奥底では相手を低く見てる気がする。」
「自分の勝手な判断で、相手を可哀想と憐れむ姿勢が偽善者としか思えません。」
といったコメントがとても多くよせられていました。
可哀想かどうかを決めるのは本人であって、他人が決めることではないはずです。
その場の状況だけを見て、可哀想と判断し、それを言葉にするのは相手にとってとても失礼なこと。
簡単に使える言葉だからこそ、良く考えて使うようにしていきたいものですね。
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